第14回ECB誕生秘史(3)

3.ユーロ誕生で消えたものは何か?

 全く新しい共通通貨と中央銀行の創設は大きな高揚感を伴うものでしたが、それにより失われたものもありました。しかし、「ただ一方的に失った」のではなく、いかにしたたかに、各国が「代償」を得るべく権謀術数の限りを尽くしたかをみてみましょう。
 セントラルバンカーにとっての一番の驚きは、ユーロ加盟国の中で最大の人口と経済力、そして最強の通貨と金利への影響力を持っていたドイツが、マルクも金利決定権も放棄するのを受け入れたことでした。厳密には放棄ではなく、ユーロへの「吸収」であり「昇華」だったとも言えますが。
 ユーロの導入前には、ドイツの中央銀行(ブンデスバンク)は、ドイツだけでなく周辺の多数国の金利水準も事実上決めていました。なぜなら、周辺国としては、近隣の大国ドイツが金利を変更したらすかさず追随しないと、自国の通貨がすぐさま高騰または下落して、物価、輸出、景気に大きな影響が出るのが明らかだったからです。
 ユーロが導入されて、単一の通貨はすべての加盟国で同じ値打ち、同じ金利(国や企業の信用度などによってある程度差は出ますが)になり、他の通貨、例えばドルや円に対しても、それぞれただ1つの為替レートが決まります。そしてその金利水準を決めるのは、新しく作られた中央銀行での合議によります。
 当初、総裁はオランダ人で、総裁を含む6人の本部役員のうちドイツ人は1人だけ、それに加えて、定期的に集まって議論に加わる11の国の中央銀行総裁の席でドイツが占めるのは当然ながら1つだけ、という世界になったわけです。