第14回ECB誕生秘史(4)

4.譲歩の背景にあった駆け引きとは?

 なぜドイツがそれに甘んじたのか、これには深い慮りがあるとされています。つまり、欧州中央銀行ではドイツはあまり表面には出ませんが、①制度の核になる考え方として、ドイツが長年こだわってきた物価安定重視、財政均衡重視の精神がしっかり組み込まれたこと、②重要ポストは実はドイツがしっかり押さえたこと、③それまでの各国の通貨の相場を合成して決められたユーロの相場が当時のマルク相場の実勢より低かったために、輸出競争力の面で実はドイツに一番有利になったこと、などが暗黙のメリットとして認識されていたと考えられます。
 もちろん、周辺国もそれに気付かなかったわけではありませんが、純粋な経済要因以外に以下のような様々な要素も考慮して、当時およそ30年先までの貸し借りを当時のリーダーたちが暗黙裡に取り決めたと言われています。ドイツではコール、フランスはミッテラン、英国はサッチャー、米国はレーガン、ソ連はゴルバチョフですね。現地関係者の間では知られた次のような首脳間の興味深い応酬に関する逸話は、全てが真実かどうかは分かりませんが、私も概ね当たっているのではないかと思います。

独:思いがけずベルリンの壁が崩れた以上、今やドイツ統一の流れは誰にも止められない。
仏:分かった。大ドイツの復活は悪夢だが、最強通貨のマルクとその支配権(金利決定権)を手放すなら認めよう。
独:分かった。マルクも金利決定権も捨てるが、中央銀行はドイツに置かせて貰う。
仏:分かった。中央銀行はドイツに置いてよいが、ドイツ人を総裁にすることは認めない。
独:分かった。ドイツ人を総裁にすることは諦めるが、フランス人が総裁になるのも認めない。中間のオランダ人でどうか(実はオランダは経済政策ではドイツにかなり近かった)。
仏:分かった。オランダ人でよいが、途中で自主的に退任してフランス人にポストを譲ると約束させて欲しい。
独:分かった、そうしていただくことにしよう(手打ち完了)。

 そして、ドイツよりもフランスよりもずっと小さいオランダの出身者が総裁となり、その十数年後、実際に彼は任期の半ばに「自主的に」退任して、フランス人が後を襲いました。
 さらにその退任からさらに16年後、そろそろ密約の賞味期限も切れるかと思われた昨年、「ついにドイツから欧州中央銀行総裁誕生か」との憶測も流れました。しかし実際には、ドイツはそのタイミングで、ヨーロッパに対してより影響力がある欧州委員長のポストが取れそうな流れとなり、メルケル首相はそちらを優先して側近のフォンデアライエンを充てた結果、欧州中央銀行総裁は他国に譲る(フランス人のラガルドが就任)との流れになったのです。このようなリーダーたちの何十年も先まで見据えた貸し借りの応酬にも、彼らの底力を感じます。