番外編瀬戸内寂聴氏

私(松田)が20年前に日本銀行の広報課長を務めていたとき、当時の日銀の広報誌「にちぎんクオータリー2002年夏号」で瀬戸内さんと対談し、鮮烈な印象を受けたのを、昨日のことのように思い出します。
昨年11月9日に逝去された瀬戸内さんを偲び、日本銀行の承認を得て、当該記事を転載するとともに、対談時のエピソードをご紹介します。

1.若い男とのインタビューしか受けない

対談では開口一番、先制パンチを頂戴しました。
瀬戸内(以下、敬称略)「あのね、私、インタビューは若い男性とのものしか受けないことにしているのよ。」
松田「えっ。じゃ、なぜ今日はわざわざ京都からお越しいただけたのですか?」
瀬戸内「私が言ってるのは、私が聞き手の場合はそうしてるってこと。今日は聞かれる側だから、そうじゃなくていいの。」
当時80歳でいらっしゃいましたが、「ときめく気持ち」に正直なご発言に、冒頭から一本取られました。

2.金融界への不満

当時は、バブル崩壊後、日本経済がまだ不良債権問題から脱却できていない時期でしたが、記事にあるとおり、現在のわたしたちの心にも刺さる、厳しい発言をされていました。
「銀行を含め政財界のリーダーには、日本の経済をここまで悪くしてしまった責任を感じて欲しい。」
「今の金利では、銀行にお金を預けにいって、靴や下駄の底が擦り減るのも惜しい。」
「庶民はお金がなければ幸せになんてなれません。そんなときに宗教なんて何の力にもなりません。」
「政治や経済の世界におけるモラルが低下して、皆が堕落してしまったのは、汗水たらして働くことを忘れてしまったからかもしれません。」

3.あくなき好奇心

対談終了後に私から、「お疲れでなければ、歴史のある建物をご案内しますが」と申し上げたら、「そりゃ嬉しいわね、ぜひ」とおっしゃって、合計すると結構な距離となった行程をものともせず、スタスタと付いてきて下さいました。
日本銀行の職員の皆さんは、法衣姿の瀬戸内さんが突然日銀の営業場に現れたのに目を丸くしていました。
辰野金吾設計による本館建設の経緯、関東大震災時の被災状況や、二・二六事件当時のことなどについての拙い説明を、生き生きとしたまなざしで聞いて下さり、また鋭いご質問をいただいたのも、「広報マン冥利」に尽きることでした。

瀬戸内寂聴さんを偲んで

出所:「にちぎんクオータリー2002年夏号」
※上記画像をクリックすると対談の内容をPDFファイルでご覧になれます。