第11回ジョナサン・ノット氏 東京交響楽団音楽監督

対談 ジョナサン・ノット氏

略歴

ジョナサン・ノット氏

2014年度シーズンより東京交響楽団第3代音楽監督を務める。
1962年イギリス生まれ。ケンブリッジ大学等で学び、ドイツのフランクフルト歌劇場とヴィースバーデン・ヘッセン州立劇場で指揮者としてのキャリアをスタートした。
1997年~2002年ルツェルン交響楽団首席指揮者兼ルツェルン劇場音楽監督、2000年~2003年アンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督(2004年~2006年は客演指揮者)、2000年~2016年ドイツ・バンベルク交響楽団の首席指揮者を経て、2017年1月よりスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を務める。
2020年3月、第32回「ミュージック・ペンクラブ音楽賞(オペラ・オーケストラ部門)」を、東京交響楽団とともに受賞した。
ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ニューヨーク・フィル、シカゴ響、ロサンゼルス・フィル、フィラデルフィア管、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、バーミンガム市響、チューリヒ・トーンハレ管、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、ドレスデン・シュターツカペレ、バイエルン放送響、サンタ・チェチーリア管など世界一流のオーケストラに客演している。
幅広いレコーディング活動の中で、リゲティ、エマヌエル・ヌネス、ラッヘンマン、ジョン・アダムズ、クセナキス、ベリオ等の現代作曲家の作品も積極的に取り上げている。
教育活動にも熱心で、2014年にユンゲ・ドイチェ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術顧問に就任。カールスルーエとルツェルンの音楽院で教鞭を取っているほか、2004年以降、バンベルクの「マーラー国際指揮者コンクール(現マーラー・コンクール)」も統括している。

【ポンドの話は「なし」で】

ジョナサン・ノット氏

松田7月に公演終了直後の楽屋でお目に掛かったときは、汗だくで、息も切らしておられる状態でしたが、今日はゆっくりお話をお伺いします。

ノット私の国(イギリス)の通貨の話はしなくていいんですよね?

松田はい、ポンドはとてもユニークな通貨で、FXの投資家の間では「キリング・カレンシー」と呼ばれているんです。

ノットえ、それは今まで知らなかった…。

松田名前ほど恐ろしい通貨ではありません(笑)。ポンドは、ドルやユーロと比べると、予想外というか、説明がつきにくい動きをすることが少なくないので、思いがけない利益や損失が出ることもあります。なので、こうした名前がつけられたのですが、逆にそうだからこそ、「ポンドが面白い」と思っておられる投資家の方も多いんです。「通(つう)好み」とでも言いましょうか。では、本題に入りましょう。

【日本でのこれまでの音楽活動を振り返って】

ジョナサン・ノット氏

松田当社も微力ながらスポンサーとなっている東京交響楽団(東響)とのお仕事が10年目に入り、さらに4年先までの任期が決まっていると思います。ここまで東響の技術、表現力を引き上げ、またレパートリーも広げてこられる過程で、どんなご苦労がありましたか?

ノット日本語が出来ない私とオーケストラの双方に言葉の問題はもちろんありますから、コミュニケーションは相互のエネルギーのやりとりを通して行う必要がありました。指揮するということは、「エネルギーを動かす」ということです。さらに具体的に言うと、オーケストラという100人のグループが生み出すエネルギーのレベルを変化させることなんです。

松田コンビを組んでみて、東響との相性はいかがですか?

ノット私の日本との縁は、もう25 年になりますが、東響とは「素晴らしい音楽で聴衆を(音楽の)旅に連れて行く」という目標を迅速に共有できました。このオーケストラの特質は、リズムのスキルが、私の知る他のどのオーケストラよりも高いことで、リズムに関して奏者が持っている才能には驚くべきものがあります。日本語はあまり抑揚がない言語なのに、どうしてリズムがこんなにいいのだろう?と不思議に思ったくらいです。また、東響は非常にポジティブな人々の集まりです。社交的で、一生懸命に仕事をするという人生のスタイルが確立しているので、私がそれを活用しつつ、彼らが私に刺激を与えてくれれば、お互い何も不足するものはありません。

松田リハーサルと本番で、ノットさんの指示というか、求められるものが違うことがあると聞いたことがありますが、本当ですか?

ノット日本には「個人は全体の調和の中でのみ価値がある」といった哲学、メンタリティ、心理があるのかもしれませんが、演奏会では、そこに誰かが「実験する意欲」を持って火花を投入しなければいけません。それが私の仕事です。本番で信じられないほどうまくいくこともありますし、そうでないリスクもあって当然です。私は、リハーサルは船を造る行為で、本番は船を漕ぎだす行為だと思っています。東響には、個々の奏者の才能とオーケストラとしての「実験する意欲」の両方が備わっているので、演奏会はいつもエキサイティングなものになっています。

【コロナで分かったナマの音楽の大切さ】

松田コロナで芸術家も大きな打撃を受ける中で、音楽の力や可能性についてどのような思いを持たれましたか?

ジョナサン・ノット氏

ノットこれまで現実的とは思えなかった方法で、創造的な芸術行為が可能になったということがあります。たとえば、私が別の場所で指揮しているビデオを見ながら東響が演奏する機会がありました。作曲家の意図を私が解釈し、それを腕の動きによって表現する姿をカメラが撮影し、これが電子機器を通してビデオスクリーンに映し出されたものを見ながら実際に奏者が演奏する、なんていうことが出来るようになったのは画期的です。その一方で、クラシックの演奏会に限らず、ライブ・パフォーマンスの魅力を完全に代替できるものはないということも分かりました。演奏会の会場では、他の方法では感じられないことを感じられるからです。たとえば、会場全体を支配するパワーが上がったり下がったりする感覚などです。私は常々、「静かな楽章の途中に5 列目で咳をする人も必要だ」と言います。

松田どういうことですか?

ノット雑音は私たちが望むものではもちろんありませんが、それによって少なくとも「私たち演奏者が聴衆と接している」ことを感じられるのも事実で、それも演奏者の立場からは大切なことだからです。

【日本の聴衆の嗜好は特異か?】

ジョナサン・ノット氏

松田ノットさんは今月(10月22、23日)、東響とブルックナーの交響曲を演奏されますね。日本では、他の国と比べても、ブルックナーの曲がプログラムに並ぶことが多いように思います。その日の聴衆は、男性の比率が極めて高くなりますが(笑)。キリスト教国とは言えない日本でなぜブルックナーが好まれるのか、ノットさんは不思議に思われませんか?

ノット「モノノアワレ」と共通する点があるのではないでしょうか? 私たちの人生はすべて音楽と共にあり、それが一体だということです。私たちはそうした一体化を促してくれる脳波を無意識のうちに探しています。ブルックナーの交響曲がもたらす脳波の振動が聴衆を瞑想モードに導き、個々人の背景にある文化との一体感が感じられるのだと思います。そこにおける日本の聴衆にとっての文化は、明らかに日本の文化です。東京はこのように非常に現代的な都市ですが、そこにはブルックナーが目指した次元と同じスピリチュアリティがあるのだと思います。

松田確かに、ブルックナーが作曲に当たって意識した「神」が必ずしもキリスト教の神に限られるものではないと考えれば、日本人が持つ人間を超える偉大なもの、それは日本固有の神々であったり大自然であったりしますが、そういうものを敬い畏れる気持ちと重なりますね。

ノット全く同感です。そうした受け止め方こそが、私が日本でブルックナーを演奏することに喜びを感じる理由です。実際、聴衆がブルックナーを実につまらないと思っている国もありますからね。

【今回取り上げるプログラムへの思いとは?】

松田今月の演奏会で、ブルックナーの交響曲第2番という、渋い曲を選ばれた理由は何でしょう?

ノットかつてブルックナー指揮者として名を馳せたヴァント氏は、「ブルックナーの交響曲は第3番から始まる」と言いました。私にとっても、第2番以前の作品は、正直言って、ごく最近までは「関心の外」でしたが、今回その気になって勉強すると、自分がどんどん引き込まれていくのを感じました。これは多分、自分が年を取ったからだと思います。さっき松田さんから、12月と来年10月にも立て続けに東京でこの曲が演奏されると伺って驚きましたが、他の2人の指揮者も、私の歳(インタビュー時点で59歳)か、それ以上ですね。この歳になると、この作品にマーラーの曲とも共通する「人生における迷い」、「死への恐れ」が反映されていることが分かってきます。それに宗教的なもの、スピリチュアリティといった要素が未整理のまま盛り込まれています。いわば、「より高みを目指し、より賢くなろう」としていた発展途上の作曲家の人生の旅を追体験できる魅力があります。

松田指揮者側の事情以外に、ブルックナー演奏大国である日本の聴衆の側でも、第3番以降の曲や、これらの曲の様々なバージョン(手を入れた別の稿)に既に馴染み過ぎて、未開拓の新しいフロンティアを求めている面があるかもしれませんね。

ノットその点も全く同感です。日本の聴衆ならではの嗜好かも。

【レパートリーへのこだわりとは?】

松田ノットさんは膨大なレパートリーをお持ちですが、不思議に私個人が好んでいるベルリオーズや、ドイツ・オーストリアの後期ロマン派のシュレーカー、ツェムリンスキーといった作曲家の曲はあまり取り上げられないようです。何か理由はあるのでしょうか?

ノット一つは、取り組む曲の勉強にかける時間が長くなったこと、もう一つは、よく知っている曲にもどんどん新しい発見があって、そう急速にレパートリーを広げられないことがあります。でも、シュレーカーもツェムリンスキーは面白い音楽です。いいサジェスチョンを頂きました。勉強できる時間があるかどうか分かりませんが、今後プログラムを組むときに参考にしますよ。ベルリオーズも確かに魅力の宝庫なのに、超ポピュラーな幻想交響曲すら一度も振ったことがないんです。

松田本当ですか? それは信じられない!

ノットきっとバッハと同じで、「今さらこの曲に対して自分が何をできるのだろう?」と思ってしまうからかもしれませんね。それはチャイコフスキーの4、5、6番についても当てはまります。でも松田さんのお好きなベルリオーズを避けてきたのは、確かに私の大きな過ちかもしれません。大きな宿題を貰いました(笑)。ドイツ音楽に重点を置いて取り組んでいると、暗い感じの音に惹かれるようになって、ベルリオーズはちょっと音色が明る過ぎないだろうか、と思ってしまっているのかもしれません。