【メディアの役割は変わるか?】

長野智子氏

松田情報を送る側がフェイクかどうかを選り分けるに当たって、仮に大手の資金力も技術の蓄積もあるメディアが優位に立つとすると、メディアの寡占、独占が強まっていく可能性はありませんか?

長野今は情報を寡占できなくなったからこそ、そこで生き残ろうともがいているというタイミングですね。これまでの方が、大手のメディアが情報を独占していたんです。それがSNSの流れの中でできなくなったので、資金力やこれまで築いてきたコンプライアンスの感覚をどう生かして生き残るか、と悩んでいるわけです。フェイクニュースが増えている中で、資金をかけてテクノロジーを使って見極め、そこから何か新しく一つオープンソースを使ったジャーナリズムを築き上げる過渡期の中に今いると思うんです。

【アメリカは変わったか?】

松田ところで、アメリカで暮らされ、またジャーナリストとしてアメリカに深くコミットされてきた立場として、アメリカの本質の変化をお感じになりますか?

長野本質的にはあまり変わっていないのではないか、という感じがします。一番顕著に変わったのは、世界のどこでも起きていることですが、「分断」ということです。でもそれは、トランプ大統領を生み出したSNSとか格差が背景となったものです。マイケル・サンデル(アメリカの哲学者、政治哲学者、倫理学者)が指摘していますが、エリート層のほとんどはすごくいい大学を出ているが、さらにそのトップファイブぐらいの大学に行っているのは、ほとんどが富裕層の子供だというわけです。けれども、エリート層は「自分の努力でこのポジションに来た」と考え、エッセンシャルワーカーと言われる人たちのことを「努力していない人」と見て謙虚にならなかったことが、分断の一番の大きな理由だというわけです。そうしたことにずっと手をつけてこなかったことや、SNSが広がったことで起きてしまった分断・格差というものがアメリカを変えた面があります。ただ、オバマのあとトランプ、次にバイデンが大統領になった時に、「アメリカはやっぱり変わっていないな」と思ったんですね。というのは、リベラルのオバマからトランプのような共和党のトリックスター的な人物が来て、次はリベラルの中の保守といわれる保守中道のバイデンが振り子のように来ることで、アメリカは意外に変わっていないなと、前回の大統領選挙をずっと取材していて感じました。

松田トランプは分断の原因ではなくて、分断の結果だということですね。以前は肌の色の違う人、民族が違う人といった、もう少し見える形で差別、区別されていたのが、今は同じ白人の中で謙虚ではないエリート層とそうでない人が生まれていることにショックを受けて「分断」を問題にしているだけで、アメリカ社会は本当に従来一体だったのかという疑問がないわけではないですね。

長野トランプが大統領になったのも、ブレグジットも大体似た状況だと思いますが、エリート層、エスタブリッシュメントと言われる人たちが今まで密室で作ってきた政治のあり方に対して、「もう自分たちの場所がない」と思った白人、黒人ともに活路を見出したのが、トランプ大統領の出現だったと言うことは、私も大統領選挙を取材してすごく感じました。スイングステートと言われるオハイオに取材に行ったら、あのラストベルトという鉄鋼を中心にしてきたのが、工場がつぶれてしまって労働者がお金を得られなくなってしまったところの皆が、黒人も白人も「トランプだ」と言ったのは、私にとって驚きでした。なぜかというと、今まで彼らを放置してきた政治のエスタブリッシュメントや既存のものに対する怒りが分断を生んで、そこには白人とか黒人という違いは全くなかったわけです。

【日本に分断の契機はあるか?】

松田おっしゃったように、ブレグジットもその一つの表れだと思います。フランスでも気に入らないことがあればデモが起きる、イタリアでも今度の選挙では大きくポピュリズムに傾くかもしれないと言われる中で、日本にもそういう分断の契機はありますか?

長野あるのではないかと私は感じます。「親ガチャ」と言われているように、「親を選べない以上、自分も上に行けない」という社会構造になって、「スタートの部分でつまずいている」と思っている若者が、今の日本で増えている気がします。

松田東大生の親のほとんどが裕福だといったことはだいぶ前から言われていますが、多分その傾向は強まっているのでしょうね。

長野サンデルが言うとおり、とにかくそこから変えていかないと、この分断とか格差というものは絶対になくなりません。日本でも、コロナ禍でエッセンシャルワーカーの人にスポットライトが当たって、どんなエリートでもエッセンシャルワーカーがいないと生きていけないことが明らかになりました。エリート層はお金を持っているのに、「この人たちがいないと暮らしていけない」という人たちにお金が落ちないという社会構造や価値観の大転換を、今はする時期なんだと思います。

松田ただ日本は、めったに暴動が起きたり、デモが起きたりしません。なので、本当は世の中が行き詰まる前に声を上げて大転換するチャンスなのにそうせずに、むしろエッセンシャルワーカーが歯を食いしばって頑張ってくれているというのは、長い目で見ると必ずしも望ましい状況ではないかもしれませんね。

長野智子氏

長野日本人は、市民レベルでも歯を食い縛ることが美徳として身に染みついているといます。介護でも人に迷惑をかけないとか、自分で家のことをやらなければいけないといった規範に縛られて、シングルマザーの人が追い詰められてしまったりするのもその表れです。病気の両親を抱えて追い詰められて自殺してしまうといった背景にも、行き過ぎた自己責任を求める社会的圧力があるのかもしれません。

松田これは美徳と裏返しで、難しい面があります。「人を気にしなくてもいいよ」、「もう少し気持ちを楽に持ったら」というのは、個人のレベルでは言うべきですが、皆そうなってしまうと、やはり社会のモラルが低下してしまうという問題もあるわけです。

長野「できるところはやはり自分でやる」という意識は絶対に必要ですが、一方ですごく抱え込んでしまって、我慢して歯を食い縛って自分を追い詰めて結局破滅してしまう、といったことも起きている中で、この生きづらさをなくす社会を目指してどうバランスを取っていくのがいいのだろうという答えは自分でもよく見えません。

松田同感です。横並び意識なり、人の見え方を気にしてしまう風潮が社会の活力や効率を下げてきた部分があります。価値観の多様性を認めなければ、社会の活力も個人の達成感も得られないように思います。

【夢を与えられる社会を実現するには】

長野若い世代に夢を与えられる社会が実現すれば、若者も努力できる気がします。例えば私が若い頃は、右肩上がりでバブルに向かっていて、「大きくなったらあれもできるのではないか」とか、「これもできるかしら」というような時代でした。私もあのキラキラしている大人の仲間に入るために、例えば「外国の大学に行ってみよう」とか、「あそこに行って勉強しよう」などと、自分の中から何か湧き上がるものがありました。今はなかなか若い世代にそうした夢を与えることが難しくなっています。若い女性に専業主婦願望というのが増えているのも、その表れだと思います。私たちのように、男女雇用機会均等法の成立年に入社して、「男並みに頑張らなければ」と振舞ってきた女性の先輩を見て、「おじさんにセクハラされても24時間頑張ります」といった生き方はしたくない、それくらいなら専業主婦で平穏に暮らす方がいい、という防衛反応の表われだと思います。社会が夢を与えていないことに対する私たちの世代の責任は、すごく大きいと思います。

松田「自分たちが間違った夢のイメージを若者に与えてきたかもしれない」ということは、別の場でもおっしゃっていましたね。

長野当時の私たちが別の生き方を選べたのか、というと、自信はありません。それはそれで、男女雇用機会均等法が施行されて、「さて女性はどうなのか、お手並み拝見」といった目で全員が見ている中で、「女性だって男性並みにできます」ということを見せなければいけなかった世代なので、どうしても頑張ってしまったということはあります。時代の変化とともに、若い女性たちがその姿に夢を見出しづらくなってきたということでしょう。でも、私たちが若い頃とは別のやり方で、「自分でこれを試してああいう大人になってみよう」という夢を社会が与えることができたら、防衛反応で逃げずに、そうした流れの中に入ってくると思います。そこでは、まさにさっきおっしゃった「多様性」が一つのキーワードになると思います。

松田確かに時代ごとに夢のスタイルは違っていいと思います。「次の世代に何を用意すべきか」というと、「夢」という言葉で括るのがいいかどうかわかりませんが、「個々人を尊重し、価値観の多様性を受け入れて活かす」ことが、実は働きがいのある、自己実現を可能にする職場の前提だという点が大事かもしれませんね。

【女性の一層の活躍を促すためになすべきこと】

長野「女性が子供を産んで子育てしたあとに、それまで築いてきたキャリアに戻れる」といった流れに、今少しずつ変わってきています。子供を持ったうえでキャリアアップできる夢が叶うことが当たり前のことになったら、たぶん彼女たちは自分で動き出すと思います。そういう夢を少しでも社会に与えられるようにと、国会議員に女性議員を増やす活動をスタートさせました。現在の衆議院議員の9割以上が男性、女性は9.7%なので、まずは分かり易いところから直していくことがきっかけになると思い、働きかけをしているところです。

松田クォータ制を入れてはどうかというお話ですね。私も賛成で、極端ではあってもそれしかないという気もします。最初のうちは、そもそも政治家を希望する女性が少なければ、クォータ制にすると平均的な政治家のレベルは下がるかもしれないが、それは過渡的なものであって、甘受すべきだと国民が割り切れるかが、一番難しいところですね。

長野その間が一番難しい時期ですが、やはりまずパイを増やさなければ始まらないと思います。ビジネスもそうですが、女性用のパイが大きくないと、そこから幹部候補生も出てこないと思いますし、「パイを増やした以上、女性全員が優秀でなければならない」と言うのは行き過ぎた要求だと思います。人口減少社会となり、多様な価値観があって、全員が同じ方向を見ているわけではないというときに、それぞれに目配りの効いた政策をやるのは、多様な人間を増やして行かないとできません。

【クリティカルマスについて】

長野「人の登用基準は性別ではなく能力であるべき」との反論も多いのですが、クリティカルマスという概念があります。例えば7割が男性で3割が女性だと、女性はまだ特別な存在で面倒くさがられますが、これが4割になってくるとそれが一つの文化になり、普通になるというポイントがあります。こうした形で文化が変わっていくことがあるんです。「時限的」であったとしても、クォータ制などのきっかけ作りをやる時期に来ているのではないかと思います。女性の権利がどうの、といったレベルの話ではなく、日本の閉塞感を打破して前に進むためにも、こうした突破口が必要だと思います。

松田限界的、短期的にデメリットはあるかもしれないし、臨界点がどこかも最初はわかりませんが、「どこかにある可能性があるクリティカルマスを超えるまで試してみよう」という気持ちが、政治家にも政府にも民間にも出てくることが大事ですね。

長野私の実体験から民間の例をお話しすると、ネットニュースのハフポスト日本版で当初私が編集主幹になったときには男性が多く、女性が少なかったんです。でも、女性の働き方とか、生理の貧困とかに対して割と早く取り組んできたメディアだったので、「子供を産んでも女性が働きやすくなるような職場にしよう」と皆で頑張っていました。それでも女性が少ない頃は、「子供が熱を出してしまって」ということになると、その都度、「じゃあどうしよう」と結構バタバタしていました。ところが何年か経って女性が半分以上になったら、子供に熱が出ても普通のことのように調整ができて、あたふたすることもなく業務が進むという文化ができたんですね。その変化を見ていて、これがクリティカルマスだと思った瞬間があるんです。男性も女性も必要だけど、どちらかが過ぎるとそこから先に進まないし、職場の環境も変わらない。多様性を反映させることで、組織もすごく循環が良くなるというのが理想だと思います。

松田個々人の努力も意識改革も大事ですが、それをなるべく早く実現する勇気を持つリーダーが早くたくさん出てくるというのが、住みやすい社会を作るうえでの近道ですね。私もそういう経営者を目指したいと思います。

長野今の若い方たちは、男性もそういうふうに考える人たちが増えていますよね。役割分担とかおっしゃって、男も女もないと考える若い方がすごく増えてきたと思います。

松田「夢」は簡単に提供できなくても、年を重ねたからこそ、未来を担う人たちの自己実現のための環境を整えるうえで出来ることはいろいろありそうですね。

松田からひと言

女性キャスターの先駆けのおひとりとして長年テレビ等で活躍される中で、現場を重視した取材・報道姿勢を貫いてこられましたが、「今もそれでいいのだろうか」と真摯に自問される姿勢に強い印象を受けました。
ウクライナ侵攻や前回の米国大統領選など、報道のあり方の根幹が問われるような変化が起きつつある今、われわれ一人ひとりがどのような意識を持って報道に接するべきか、多くの示唆を頂きました。