第9回長野智子氏 キャスター・ジャーナリスト

対談 長野智子氏

略歴

長野智子氏

キャスター・ジャーナリスト
国連UNHCR協会 報道ディレクター
米ニュージャージー州生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後アナウンサーとしてフジテレビに入社。夫のアメリカ赴任に伴い渡米。ニューヨーク大学・大学院において「メディア環境学」を専攻し、人間あるいは歴史に対して及ぼすメディアの影響について研究した。2000年4月より「ザ・スクープ」(テレビ朝日系)のキャスターに抜擢され帰国。「朝まで生テレビ!」「スクープ21」「報道ステーション」「報道ステーションSUNDAY」「サンデーステーション」のキャスターなどを経て、現在は国連UNHCR協会・報道ディレクターを務めながら、国内外の現場へ取材の為に足を運ぶ。

【ウクライナ難民が我々に投げ掛けたもの】

長野智子氏

松田ウクライナで難民が発生して、日本人ももっと難民問題のことを考えなければいけないという意識が強まっていると思います。難民関係の報道の仕事をされていて、今思われることはありますか?

長野当初ウクライナでたくさんの避難民が出たときに、日本人はこのニュースになぜここまで大きく反応するのかと思いました。というのは、ウクライナ難民に「避難民」という言葉を使っていますが、アフガニスタン、南スーダン、バングラデシュ、シリアの難民も、紛争や言論弾圧によって自分たちの家、土地に居られなくなったという意味では、基本的に同じはずなんです。それなのに、中東の人たちよりもずっと関心が高まったのは、すごく貧しくて「自分たちとは少し違う」と思ってしまう人たちよりも、我々のライフスタイルや価値観に近い白人のお母さんたちが子供を抱いて逃げる映像に、大きなインパクトを受けたのだろうと思いました。だったら、アフガニスタン、シリア、南スーダンなども同じだ、ということを知ってもらいたいと強く思いました。

長野智子氏

松田公平、冷静に難民問題を捉え直すいいきっかけであるはずなのに、何となく価値観が近くて生活水準が高そうなウクライナ人の方に強く共感している嫌な自分を感じた面もありますよね。受け入れに当たっても、「余り来てほしくない印象がある人たち」かどうかが基準になってしまっているような…。

長野特にわかりやすいのはメディアですね。アフガニスタンで去年、タリバンがあのように制圧して暫定政権ができたということも、過去のこととしてメディアがあまり取り上げなくなり、ウクライナ一色になってしまったわけです。そのメディアでは、無意識に「難民」と「避難民」の二つの言葉を使い分けています。報道で「難民」という場合は、貧しくて私たちとは少し違う人たちというイメージです。一方ウクライナでは、私たちと似た人たちが急に侵攻されて逃げ出していることで、無意識に「避難民」と言っているわけですが、本当であれば全員「避難民」なんです。どの「難民」の方も、皆「避難民」であるのに、ウクライナは「避難民」、他の国の人たちはちょっと遠く感じる「難民」というように、巧みにこちらの先入観や価値観で使い分けてしまっているんです。

松田両者の差別をなくす方向で、その区分をやめようという議論が起きてもよさそうな気がしますが…。

長野そのとおりです。そもそも「難民」という呼び方はどうなのでしょうか。「難しい民」というニュアンスから、「あまり関わりたくない人たち」という印象を与えてしまいますよね。「避難民」なら、日本でも東日本大震災や自然災害で家を逃れて避難されている方がたくさんいるので、何となくわかるわけです。

松田避難の「避」があるだけで大違いですね。

長野大違いです。その言い方自体を変えたほうがいいのではないかと私も結構言っていて、自分が報道ディレクターを務める国連UNHCR協会でも「確かにそうだ」という話にはなるのですが、ずっと昔から言い続けてきていて、なかなか変えられないところがあります。

【難民たちの思い】

長野智子氏

長野それでもおかしいと思うのは、ケニアやシリア、ヨルダンの難民キャンプに、国連UNHCR協会として行くと、少し前まで学校の先生や大学教授、学生や建築家でしたといったエリートの方たちも多くて、ウクライナの状況と同じなんです。ウクライナの方たちを含め、早く国に戻って再建したいという想いを皆持っています。貧しいから逃げたわけではなく、家族全員が殺されてしまっても、自分一人の足で逃げて国境を超える、めちゃくちゃ強い方たちです。私たちに同じことが起きたら、心が折れて諦めて、その場で「もういいや」と思ってしまいそうなことを乗り越えてきている、すごく強い方たちです。そういう部分を日本の人たちに伝え切れていない、という思いもあります。彼らの生きる姿勢、生き残ろう、生き抜いてみせるというその強い意志が、日本人の私たちにものすごく刺激になりますし、彼らと話して力をもらえたと感じるときもあります。

松田そういう発見も、我々の生き方に対する問題提起になりますね。日本の近代史でいろいろ因縁のあるロシアに原因があるからこそ、今日本人がウクライナ避難民に共感しているという政治的・歴史的な要素も多分にあって、難しいですね。

【国連はやはり特別】

松田国連に話を戻すと、常任理事国の拒否権発動を目の当たりにして、国連の無力さを感じている人も多いのではいかと思います。国連活動の一翼を担われているなかで、国連の活動がやりにくくなってきたとお感じになりますか?

長野智子氏

長野UNHCRという国連難民支援の駐在事務所は日本にあるわけですが、国連UNHCR協会という、私が報道ディレクターをやっている組織は、その公式支援窓口として活動している団体で、私は国連の職員ではありません。一般論として、安保理の問題とUNHCRのような難民支援活動は性格が違います。今回のウクライナ侵攻に関して、安保理が機能不全に陥っているという問題は確かにあると思います。ただ、私がUNHCR協会の報道ディレクターとして国連の「UN」を背負って難民キャンプやちょっと危ない地域に行くと、やはり、国連はすごく万能であると感じます。どんな紛争地域に行っても、「UN」とつけていれば、「人道支援に来ている」とどの当事者も思うわけです。人道支援に特化しているという意味では最強で、国連はやはりすごいと思います。今回のような事態になったとき、安保理のような戦勝国による枠組みの組織は身動きがとれないとすると、利害関係が周辺国に多すぎる点を抜きにして何かをできる組織というのは本当に必要だと思います。

【「現場重視」は過去のものに】

松田報道の立場から現場を重視するということを、色々なところでお書きになっていますが、ウクライナの問題で、本当に現場のことが正しく報道されているのだろうか、という疑問がありますよね。現地の両サイドからジャーナリストですらない人たちの映像がどんどん流れてくる一方、本当は現地でもっとひどいことが起きているはずなのに不思議に流れて来ていないといった…。これだけ情報技術が進んだ中では、果たしてジャーナリストの姿勢として、現場を重視することがどこまで大事なのだろうか、と思われることはありますか?

長野ご指摘は、私の今の最大関心事の一つです。「現場を重視する」ということが、私の中では「一時代昔のこと」になってしまったと感じています。私が報道番組に関わったのは2000年からですが、その時に一緒にやっていたキャスターの鳥越俊太郎さんから、「ニュースを伝えるには、とにかく現場に行かなければいけない」と言われました。ディレクターの書いた原稿を読むのではなく、自分の目で確認して、人の話を聞いて、香りを嗅いで、とにかく自分が体感したことを自分の言葉で伝えることを徹底的に教えていただいたんです。それを実践している番組でもあったので、自分たちが伝えていることにはすごく自信があったわけです。ところがSNSが発達して、テレビ局も経費を掛けて長期取材するような番組が少なくなってきたということがあります。もう一つは、SNSが発達して当事者が発信するようになったことです。記者や番組のディレクターがわざわざその場所に行く前に、自然災害でもそうですが、そこで起きていることを、そこにいらっしゃる方たちが自分たちで映像を撮って伝えてくれるようになり、現場に記者が行くことがあまり重要視されなくなりました。

松田確かに、テレビを見ていて、そんな印象を受けますね。

長野「オープンソースジャーナリズム」という言葉が今主流になってきています。ウクライナ、その前はミャンマー、香港など、いろいろなことが起きている場所では、当事者の人たちがSNSでアップしたオープンソースを、メジャーなジャーナリズムがきちんと真偽を確かめたうえで、それを使って報道するという方向にシフトしてきています。そこでの課題は、データジャーナリズムに関する教育が、あまりにもメディアの人たちに進んでいないということです。「真偽を確かめる」という技術的な見極め方や、テクノロジーなどの教育が進んでいないということです。日本でも今、慌ててそういうオープンソースジャーナリズムに向けたデータジャーナリズムの勉強を始めているところです。この前NHKが、ミャンマーでデモに参加して民主化を求める若者たちが撮った映像と軍側が撮った映像とを、本当に細かいテクノロジーを使って真偽を確かめて、現地で何が起きているかを分析した特番を見て、「現場取材」という一番大事にしてきたものが一時代前のものになった、との感を強く持ちました。ウクライナにはもちろん何人も記者が入っていますが、一番危険な所には入れないため、現地の当事者の映像を使うわけです。それがフェイクではないかの見極めの部分に関しては、どの国も過渡期で、手探りでそれを行っているところだと思います。この点がテレビの報道が直面している最大の問題だと思います。

【受け手はフェイクニュースをどう見分けるか?】

松田フェイクニュースの選別には受け取る側の心掛けの問題もありますよね。フェイクが混じっているかもしれないという前提で読むのと、そうしないのとでは、個人の判断にも大きな影響が出ます。ひとつ関心のあるニュースを開くと、それに関するものばかりが続々と送られてくるというのは、非常に危ない世の中です。新聞を取っていれば、興味を持って読まなくても、視界の端っこに「こういうことも起きているらしい」という情報が目に入るわけです。若い方を中心に、スマホ経由の情報に無意識のうちに頼ってしまっていると、視野がどんどん狭まるように思います。その視野をどうやって広げ、有象無象の情報の中から真理をどのように見分けるかは、なかなか難しいことのように思います。ジャーナリズムの世界に身を置かれていて、どうお考えですか?

長野フェイクニュースに惑わされないためにはどうしたらよいか、という質問をよく受けます。私はとにかく、「すぐにリツイートしないで」としか言えません。即座にリツイートせずにその情報をクリックしてみると、結構そのサイトの怪しさとか信頼性がわかり、かなりフェイクニュースに踊らされるリスクは減ると思います。アクセスしてみて「これは本当かな」と思って別の大手メディアを検索してみるのもありです。手間がかかりますが、惑わされないようにするのに楽な道はないということです。

長野智子氏

松田コロナで人と会うのに制約があるために、「こんなニュースがあったけど、それは違うらしいよ」などと言ってもらえる機会も減っている中で、家で好きなニュースだけ見ていて、「仕事もメールで十分」という意識が広まる中では、「それはおかしくないか」と気付けるチャンスも減っていますよね。家中で親や兄弟姉妹が言ってくれればいいのですが、皆それぞれがスマホを横において食事しているような状況では、それも期待できそうにありません。

長野本当ですね。「意見の分断」から、意見を交わす以前の「個々の分断」にもなってきているのですね。昔はお茶の間でテレビのニュースを見て、わからないことは父親が説明してくれたりすることもありました。

松田「友達の家ではこうだ、先生はこう言っている」と話が発展したり、親が答えられないと、沽券(こけん)に関わると、あとでこっそり百科事典で調べ直してみたり…(笑)。