2015年5月7日木曜日、英国では5年に一度の総選挙が実施されました。英下院650議席を争う選挙で、伝統的に英国は二大政党制の本家本元として知られていますが、時代の流れとともに、21世紀に入ってからというもの、二大政党のいずれかを軸とした「連立政権」の時代に突入しました。前回2010年総選挙で頭角を現した自由民主党(以下、自民党)に加え、今年の選挙はEU離脱を公約に挙げる英国独立党(以下、UKIP)や、スコットランドの地域政党であるスコットランド国民党(以下、SNP)が国政選挙に本格参戦するという異常事態とも言える状況にまで追い詰められています。
英国では国王の権限を制限する形で議会が発展し、1884年から2年間かけて設定された選挙権法に基づき、小選挙区制を採用しました。この仕組みは、各選挙区の立候補者の中から、有権者は一人の候補を選び、その選挙区で最多票を得た候補者が当選するというもの。極端な話し、トップと2番目の人の得票数が、一票しか差がなくても、トップの人が当選します。そのため、死票が多い点が問題となり、自民党などでは選挙法改革を長年訴えていますが、特に目立った進展がない状態です。
終戦直後の選挙では、二大政党の合計得票率と議席総数は、全体の95〜98%を占めるという独占状態でした。しかし、1997年にブレアー首相が登場してからというもの、労働党は従来のような労働者階級に視線を合わせた伝統的な枠組みから飛び出し、労働者と中流階級の間の層を対象とした新労働党へと姿を変えていきました。このように二大政党のひとつが形を変えていくにつれ、有権者の間でも他の政党への関心が高まってきたのです。ブレアー政権になってからのもうひとつの変化は、いままでの「イングランド中心の政治」から、スコットランドやウェールズ、北アイルランドなどの自治政府の設定による地方分権が確立したこともあります。こうして、英国の政治は、二大政党制から、多党化時代へ突入したのです。
総選挙前に実施された世論調査結果を見ても、今年は特にこの「多党化」の流れが急速に進み、どの政党も単独過半数に届かないハング・パーラメントになるのは確実視されていました。
ここに書かれている全ての時間は、英国現地時間です。日本時間は、プラス8時間
投票所が閉まるまで残すところあと3時間。私はちょうど自宅近所にあるジムに行った帰り道で、やけに車の渋滞がひどいことに気がつきました。それも普段渋滞する場所ではないところで、渋滞が起きているのです。徐行運転をしながら人の流れを見ていたら、理由がわかりました。それは、仕事帰りのサラリーマン達が、家に帰る途中に設置されている最寄の投票所に向けて車の駐車場を探しているところだったのです。この国に住んで27年になりますが、選挙の時にこんなに渋滞した経験は一度もありません。とにかく、あまりに多くの人が投票所に向かって歩いているのを見て、「もしかしたら、とんでもない番狂わせが起こるのかしら?」と私が感じた瞬間でした。
家に帰って報道を調べていたら、賭け屋で「労働党勝利」の掛け率が大きく上昇したというニュースが入ってきました。それを好感するように、ポンド/ドルは1.5220台から1.5270台まで上昇しています。このポンド高の背景には、労働党の単独過半数政権は無理としても、事前予想の265〜275議席を上回り、290〜300議席が確保できれば、労働党少数派政権か自民党との連立政権が誕生する可能性が高まります。この場合、労働党/自民党ともに、EU離脱の国民投票には反対をしているため、Brexit(英国のEU離脱)に関する不透明感が払拭されることが好感されました。
22時に英国中の投票所が閉まった途端、2つの大きなサプライズがありました。
・・・出口調査結果・・・
2015年総選挙時の出口調査結果をお知らせする前に、前回2010年の総選挙時の出口調査結果と実際の選挙結果をご紹介しましょう。
この国の出口調査結果の正確さには定評がありますが、このグラフを見ていただければわかるように、出口調査の数字(左側のグラフ)と、実際の投票結果(右側のグラフ)には、ほとんど差がありません。
これを頭に入れたところで、今年の出口調査結果をご覧になってください。私も最初に見たときは、何かの間違いかと思い、驚いて声を出してしまいました。
事前に発表されていた世論調査結果では、二大政党の保守党・労働党の支持率が33〜35%で拮抗しており、どちらの政党も多くて270〜280議席がやっとだろうというのが、コンセンサスとなっていました。しかし、この調査結果を見る限り、保守党の議席数が予想をはるかに超えていることもあり、このまま少数派政権を樹立してもよし、現在の連立相手の自民党ともう一度連立を組んでもよしという、Win-Win状態となり、一気に先行き不透明感が払拭されたのです
当然と言えばそれまでですが、この出口調査結果が出た瞬間に、ポンドは対ドルで、1.5270台から、一気に1.54台まで上昇。
このチャートでは、その瞬間のろうそく足は大きな陽線となっていますが、私が使っているロンドンのFX会社の5分足チャートは、1.5238から1.5411まで大きな窓があいています。
・・・SNP(スコットランド国民党)の健闘・・・
もうひとつの驚きは、出口調査でのSNPの議席数です。
英下院650議席の内訳は、
・イングランド 533議席
・スコットランド 59議席
・ウェールズ 40議席
・北アイルランド 18議席
となっています。スコットランドの59議席の内訳を、2010年総選挙と、2015年の出口調査結果とで比較してみましょう。
昨年のスコットランド独立をかけた国民投票で、スコットランドで一世風靡したSNPが、驚くべき力を発揮したのです。
この国の政治家に馴染みがないと、あまり興味のない話しになってしまいますが、現連立政権で活躍しているアレキサンダー副財務相(自民党)や、影の財務相・労働党の超重量級議員であるボール氏などが議席を失ったという噂が出回りはじめたのも、この頃でした。それに加え、副首相である自民党のクレッグ党首の当選もかなり難しいという噂も出ています。UKIPのファラージュ党首は、もし自分が当選しなければ、即刻、UKIP党首を辞任すると発言しています。
これら重量級の当確が判明するのは、午前3時以降ですが、既に噂ばかりが先行して別の意味で混沌としてきました。
出口調査結果が実際の投票結果と同じになるのであれば、保守党が316議席獲得しますので、そのままどことも連立を組まずに少数派政権となってもよいし、自民党ともう一度連立を組んでも構いません。しかし、今回の総選挙ではっきりしたのは、保守党、労働党に次ぐ第三党の座はUKIPに移ったため、自民党は保守党から声をかけられても、連立を辞退する可能性が高まっています。
この時点での開票結果は、保守党 2議席・労働党 3議席。
この時間帯は開票結果が目白押しとなったこともあり、数々のドラマが生まれました。この国の政治家は、日本では知名度が低いため、読者の方はあまりピンと来ないかもしれませんが、特に労働党と自民党の重鎮達が、次から次へと議席を失う報道が続きました。
落選した有名な議員は、
私も開票速報をずっと見ていたのですが、落選議員のほとんどが、保守党議員に議席を奪われていたのが印象的でした。キャメロン首相が勝利宣言をしたのも、この時間帯でした。
650議席中、600議席の開票結果が出そろい、保守党単独過半数政権の発足がほぼ決定したため、同日昼12時30分にキャメロン首相がエリザベス女王に面会に行くと報道されました。同氏は既に現政権でも首相を務めているため、厳密に言うとあらためて女王に面会をする必要はないそうですが、形式にこだわり、組閣に向けた報告に伺うということになったようです。
この時間に英国の株式市場がオープンしましたが、為替だけでなく、株式指数も大幅アップとなりました。特に不動産関係株や銀行株が軒並み5〜15%というとんでもない急騰を見せました。この背景には、労働党が主張していた政策が無効になったことがあります。労働党は、200万ポンド(約3億5000万円)以上の住宅売買に特別税を課すとしましたが、その可能性がなくなったことを受け、いままでずっと売買が控えられていた200万ポンド以上の物件が動き出すこと。そして、銀行株に関しては、労働党は約8億ポンド規模の銀行特別税システムを導入し、それを財源として子供手当ての充実などを目指していました。しかし、その特別税システムの導入がなくなったため、銀行株は一直線で上昇しています。
この住宅売買特別税が無効になったことを受け、200万ポンド以上の物件の一部は、朝の数時間で20%も価格が上昇した物件が出てきたとも報道されています。選挙結果を知った海外からのバイヤーが、ロンドンの不動産屋さんに電話で問い合わせたり、直接事務所まで足を運んだり、相当忙しいとも伝えらえています。海外からのバイヤーが活発になると、ポンドの買い材料にもなるので、これに関しては今後も注意が必要になります。
散々な選挙結果を受け、労働党のミリバンド党首、自民党のクレッグ党首、そしてUKIPのファラージュー党首の3名が、本日中に党首辞任を発表するというのが、コンセンサスとなっています。
特にUKIPのファラージュ党首は、自分自身も落選してしまったため、ダブルパンチです。ただし、ここが小選挙区制の悲しいところで、UKIPの議員は合計で350万票以上を獲得していますが、実際の議席数は、たったひとつです。それに対して、150万票しか獲得していないSNPの議員は、56名も当選しています。この投票数の多さから、今回の総選挙で英国第3党の位置は、自民党からUKIPへ正式に変更されました。
噂通り、自民党のクレッグ党首、そしてUKIPのファラージュ党首が次々と辞任宣言をしました。
650議席のうち、642議席の開票結果が出揃ったタイミングで、労働党のミリバンド党首が辞任の記者会見を開きました。
ここまでの議席数と得票率を見る前に、2010年総選挙の結果からご紹介します。
次は、642議席時点での議席数配分と得票率です。
断トツ保守党が頑張り、自民党が大敗したことがわかります。
英国での連立交渉は、まず第一党が最初に交渉権が与えられます。しかし、そこで交渉が失敗すると、第二党へとバトンタッチされます。つまり、必ずしも最大議席を獲得した党の党首が、首相になる訳ではありません。2010年総選挙の時には、労働党と自民党、保守党と自民党の間で、それぞれ連立交渉が行われ、投票日から数えて5日目に保守党を与党第一党とするキャメロン政権が誕生しました。
しかし、今回は保守党単独過半数政権になるのは確実のため、連立交渉による政治の空白が避けられます。これも、ポンドや株式が買われる大きな要因であると考えられます。
新政権は、エリザベス女王による施政方針演説(別名・クィーンズ・スピーチ 女王演説)の後に実施される議会での採決で、過半数以上の賛成を得て、はじめて信任される仕組みとなっているため、厳密に言えばそれが確認されるまでは、安心は出来ません。
投票前の予想では、UKIPがEU離脱の国民投票の実施を巡り、保守党に揺さぶりをかける。そして、SNPが労働党をズタズタに切り裂く。このようにして、二大政党が相当の苦戦を強いられるというのが大方の予想でした。しかし、いざ蓋を開けると、誰もが予想していなかった保守党単独政権の誕生となったのです。
これはあくまでも私個人の意見ですが、たぶん最初の半年〜一年くらいは、特に波風も立たず平穏無事な政権運営が可能となるように思います。その最大の理由としては、連立相手の自民党と、二大政党のひとつである労働党の党首が辞任したため、新たな党首選が実施されることが考えられ、国民の関心がそちらに移るからです。
短期的には、単独過半数達成というハネムーンピリオドを楽しめる保守党ですが、長い目で見ると、前途多難であることにはなんら変わりありません。最初の難関は、議席数がギリギリの過半数であるため、この後5年間のうちに、何度かの補欠選挙が実施されることが想定され、そこで議席を失えば、単独過半数の維持が不可能になるかもしれない点です。
何よりもここからの保守党の支持率を大きく左右するのが、英国のEU離脱を問う国民投票の実施です。キャメロン首相が考えている理想的な国民投票とは、EU側との交渉をすすめ、現在とは違う形でのEUと英国の関係を2017年までに築き上げ、それが全て整った時点で国民投票を実施するというシナリオを考えていらっしゃいます。ただし、これについては、問題が2つ出てきたと私は考えています。
まず最初は、保守党内の反EU強硬派が、国民投票の実施を2017年まで待ってくれるのかです。既に昨年だけでも2人の保守党議員が離党し、UKIPに移籍しました。今後も、同様の動きがないとは言い切れません。果たしてキャメロン首相は、党内の調整をうまく続けながら、EU側と2017年まで納得の行く形で協議を進めていけるのか、その手腕が問われます。
次の問題点は、もっともっと深刻です。それは英国と欧州委員会との関係悪化です。昨年6月27日、それまで欧州委員長を務めていたポルトガル人のバロッゾ氏の任期満了に基づき、新しい委員長が選ばれました。この委員長選に向け、欧州議会の各派は、それぞれ候補者を出しました。そこでは、欧州議会で最大勢力を誇る中道右派が推薦した圧倒的に知名度が高い前ユーロ・グループ議長/ルクセンブルグ前首相のユンケル氏の当選が確実視されていたのです。しかし、「欧州連邦制」を強く支持するユンケル氏が委員長になってしまうと、今後のEUとの交渉が難しくなることを警戒したキャメロン首相は、委員長選に先駆けて、ユンケル不支持を声高に叫び、EU加盟28ヶ国の首相に対し、一人ひとり説得に廻ったのです。しかしその甲斐空しく、26対2の賛成多数の結果、ユンケル氏が新欧州委員長に当選しました。
このキャメロン首相の不支持を快く思っていないユンケル委員長は、就任後何度もキャメロン首相の移民問題に対する見解や、総選挙キャンペーン中の発言に対し、公式の場で非難するという行動に打って出たのです。
キャメロン首相にとっては、敵とも言える欧州委員会とその長であるユンケル委員長を相手に、今後交渉を進めていかなければなりません。今回の選挙で保守党の勝利が伝わってから、ユンケル委員長がコメントを出していますが、そこでは「今後の交渉は友好的に行われることを希望する」と既にキャメロン首相に釘を刺しているとも受け止める発言内容となっており、相当多難な道が待っていると考えて間違いありません。
これも頭が痛いですね… 英国の国政政治の決定の場に、50名を越すスコットランド人議員が物申すというだけでもかなり痛いですが、保守党そして労働党共に、SNPがスコットランド独立の意志を変えない限り、この党の出す政策を支持しない可能性もあり、孤立化するのが心配です。そして、来年はスコットランド自治政府の選挙が待っています。SNPのスタージョン自治政府首相は、この選挙でSNPが勝てば、スコットランド独立に向けた国民投票をあらためて実施したい意向を述べました。
昨年のスコットランド国民投票は、「人生最初で最後の国民投票」といううたい文句だったと記憶していますが、SNPの人気独り占めの影響も手伝い、人生で何度国民投票をやられるのか、全くわからなくなりました。
そうなると、英国は今後数年の間に、EU離脱の国民投票(Brexit = British + Exit 英国のEU離脱) と、スコットランドの独立という、2つの国民投票をこなさなければならなくなります。
総選挙の不透明感を嫌気して、世界中の投資家が英国株から資金を引き上げて、欧州株へ投資先を変更していました。今回の結果を受け、そのような資金が英国に戻ってくることが想定されますので、これはポンドにとって前向きな材料となります。投票終了後の出口調査の発表以来、ポンドは対ドルで1.8%、対ユーロで2.5%それぞれ上昇しており、一日の上昇率としては過去5年間で最大となりました。同時に、この国の代表的株価指数であるFTSE100もオープン早々1.7%の上昇を見せており、個別株も、特に不動産会社を中心に10%を越す上昇となっています。
それ以外の明るい材料は、保守党は引き続き財政均衡を目指し緊縮財政策を継続することが見込まれるため、格下げの心配は遠のくでしょう。
目先の動きとしては、選挙結果の不透明感払拭だけが材料となったポンド買いは、一段落だと思っています。ただし、投資家が減らした英国向け資産(株や債券)の追加投資の可能性や、海外からの不動産購入などを考えると、まだ若干ポンドの上昇余地があるかな?と思っています。
自分としては、対ドルよりも対ユーロで、0.7470付近のレジスタンス付近でユーロ売り/ポンド買いをして、黄色いハイライトが入っている0.7050〜0.7250のところで利食うことを考えています。すぐにはないと思いますが、万が一0.7050を下抜けすると、相当下げが加速することが考えられます。
先ほどから繰り替えしていますが、選挙結果に向けた不透明感はなくなったものの、EUに対する国民投票に関する新たな不透明感が出てきたことは事実で、企業による新規投資の遅延やキャンセル、金融機関や製造業の欧州大陸への本店移動など、まだまだ抱えている問題は大きいです。それに加え、万が一の離脱に備え、英中銀は世界の金融市場に与える影響を最小限にするため、金融安定に向けたシナリオを立てなければなりません。
それとは別に、来年以降、スコットランドでの国民投票があらためて実施となると、次の選挙、つまり2020年の総選挙は、英国がEUから離脱していたり、スコットランドが英国連合から抜けて独立している可能性もあり、現在の「英国連合」とは相当形が変わっていることが考えられます。
このスコットランドの問題は根が深く、英国が2017年までにEU離脱国民投票を実施し、スコットランドは「EU残留」を希望し、イングランドやそれ以外の国が「EU離脱」を選んでしまった場合、ますます英国連合の仲間割れが深刻化し、ポンドは売りの嵐となるかもしれません。