第13回ECBが直面した試練

単一通貨ユーロとECB誕生以降の試練

E通貨統合の進展により、それまで国ごとに異なっていた通貨が実際に銀行券、貨幣の流通を伴う形で導入されたのは、2002年1月で、これをもってユーロ導入のプロセスは一段落しました。
参加国は、当初(1999年1月時点)の11か国(注)から徐々に増え、現在は19か国にまで拡大しました。

(注)ドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、アイルランド、スペイン、ポルトガル、オーストリア、フィンランド

しかし、経済構造も経済政策の伝統も異なる多数の国に統一的な金融政策を適用することは実際には非常に難しく、発足から10年も経たない2010年にはギリシャの財政赤字問題が深刻化したことで、他のユーロ圏の国にも危機が及び、ユーロの存続が危ぶまれたこともありました。

ECBの役割の変遷

ECBの任務はユーロ圏内の物価安定を維持することです。これは、物価の安定により雇用が拡大し、経済成長が促されると考えられているためで、先進国にほぼ共通の認識と言えます。
しかしながら、物価安定に反しないと判断した場合には、欧州共同体の全般的な経済政策を支持することができるとしています。

「物価の安定」の定義は、ECBの設立当初から「インフレ率の見通しが2パーセント未満、その近辺」とされてきましたが、直近では新型コロナウィルスの影響などに鑑みて、2021年7月8日に行われた「金融政策の戦略レビュー」において、「未満、その近辺」との表現を削除しました。
代わりに、2%との明確な値を示したうえで、その後もしばらくその水準にとどまると判断するまで、政策金利を現在の水準かそれ以下にとどめ、一時的に物価上昇率が目標をある程度上回ることを容認する姿勢を示しました。

また、前記のとおり、ECBはブンデスバンクの遺伝子を引き継ぐものとされてきましたが、第3代ドラギ総裁、第4代ラガルド総裁の下で採られた危機対応としての緩和政策の行き過ぎ(物価上昇リスク等の過小評価)への不満から(あくまで市場等の憶測ではありますが)、ECB政策理事会で重要な役割を担うドイツ人のメンバー(ウェーバー・ブンデスバンク総裁、シュタルクECB専務理事(元ブンデスバンク副総裁)、ワイトマン・ブンデスバンク総裁)が相次いでECBと袂を分かってその職を辞したことは、ECBが組織として変容してきたことを物語っているものと思われます。