信頼できる外貨投資を多くの方に。外国為替証拠金取引取引 セントラル短資FXのご案内

FX外国為替取引 セントラル短資FX


オンライン口座開設
資料請求
初めてのお客様へ
無料デモトレード
キャンペーン情報一覧
外国為替取引とは?

セントラル短資FX ホーム > 外国為替取引とは? > 外国為替の世界 > 外為知識ライブラリー > 『 外為探検隊 』 レポートvol.1

外国為替の世界

外為知識ライブラリー

『 外為探検隊 』 レポートvol.1

横浜正金銀行(7/30)

みなさんこんにちは。
セントラル短資オンライントレード株式会社ではこの度、【外為探検隊】を結成いたしました。弊社に関係した事柄、身近な為替関連情報を探して、弊社のスタッフがレポート形式でご紹介します。

さて、記念すべき第1回は、横浜正金銀行-世界三大為替銀行への道-展をご紹介します。

●野村雅道さんとご同行

7月28日、横浜正金銀行-世界三大為替銀行への道-展に行って参りました。横浜在住で日頃から弊社のセミナーに講師としてご協力いただいている野村雅道さんとご同行させていただきました。

野村さんは東京銀行出身でその後、欧州系銀行で為替・債券のトレーダーを経て、現在は中京大学の講師・投資グループFX湘南の代表兼ファンドマネージャーを勤められています。横浜正金銀行は戦後GHQの指令により東京銀行が業務を引き継ぎます。野村さんのキャリアのルーツでもあり、展示物を興味深く閲覧なさっていたのが印象的でした。

野村さん@正門

野村さん@正門

●横浜正金銀行とは?

横浜正金銀行と聞いてすぐにお解りになる方、あまり多くはないと思います。横浜正金銀行は1879(明治12年)に設立された為替専門の銀行です(日本銀行の設立は1881年)。一時は外国為替取扱高でシェア90%を超えていた巨大な銀行で、のちに世界三大為替銀行の一つと証せられます。

当時、貿易の中心は港町横浜。外国人に独占されていた貿易の現状を打開するため、大隈重信・福沢諭吉・丸屋商店(のちの丸善)の早矢仕有的(はやしゆうてき)らが中心となり横浜正金銀行が創設されることとなります。

「日本銀行ハ内国ヲ経理シテ外国ニ当リ正金銀行ハ海外ヲ経理シテ以テ内国ヲ益シ…」と松方蔵相(1885内閣制度による初代大蔵大臣に就任)が説いたとあって、日本銀行とならび、重要な政府銀行であったことが解ります。人材においても7代頭取高橋是清と10代頭取井上準之助は後に日銀総裁・大蔵大臣を、8代頭取三島弥太郎は日銀総裁の任にあたっています。

旧横浜正金銀行本店

旧横浜正金銀行本店

▲ページTOPへ戻る

展示会は大きく分けて3つのセクションに分かれています。

1. 横浜正金銀行史
2. 建物と建築家、妻木頼黄
3. 資料(銀行券・広告など)

1. 横浜正金銀行史

初期の横浜正金銀行
当時、外国人に独占されていた貿易の現状を打開するため、大隈重信・福沢諭吉・丸屋商店(のちの丸善)の※早矢仕有的(はやしゆうてき)らが中心となりここから横浜正金銀行が生まれることとなる。初代頭取中村道太から7代頭取※高橋是清までの30年間が明治期。日本銀行からの外国為替資金の低利融資・金庫事務・外国公債管理など代行し、いわば日本銀行の対外業務部門の代理を果たす。日清戦争の賠償金収受と管理、日露戦争の軍事外債募集事務などを成功させ、国際的に信用を得る。
※ 早矢仕有的とハヤシライス
※ 高橋是清は1906〜1911まで頭取を務め1911から日本銀行総裁。1921には内閣総理大臣となります。若き日には、米国で奴隷契約を結んで農場で働いたり、芸者の三味線持ちを勤めたとの逸話もある。
http://burari2161.fc2web.com/takahasikorekiyo.htm

大正期の横浜正金銀行
貿易総額に占める横浜正金銀行の為替取組高は1911からシェア60%を超え、1918年には90%となったことから、世界金融市場において信用も高まり、世界三大為替銀行と称せられる。一方、中国における幣制統一の試みに失敗し、1917からは中国東北部(満州)における業務を東洋拓殖銀行や朝鮮銀行に引き継ぐなど、中国における活動は縮小。1923、関東大震災により横浜の貿易機能が停止し、また焼失生糸の清算問題など環境が悪化。

昭和期の横浜正金銀行
昭和の金融恐慌や農業恐慌は乗り越えるが、戦時体制の進む中で横浜正金銀行も国策に応じた役割を果たすこととなり、中国・東南アジア方面への支店展開が進められる。1937からは行員の応召がはじまり、第二次大戦まで945名が出征。戦後、連合国軍最高司令部(GHQ)は横浜正金銀行の解散を指令し、1947年1月1日を以って横浜正金銀行の資産と負債が新設の東京銀行に譲渡され、67年間に及ぶ横浜正金銀行の歴史に幕を閉じることとなる。

▲ページTOPへ戻る

建物と建築家、妻木頼黄/つまき・よりなか

横浜正金銀行本店の建物は現在神奈川県立歴史博物館として市民に愛され、平成7年6月27日付けで国の史跡に指定されています。建築家は妻木頼黄。日本銀行・東京駅・日本橋・横浜赤レンガ倉庫などを、近代日本建築史のランドマークを数多く設計した明治の巨頭です。

妻木は1859(安政6)東京赤坂の旗本の長男として生まれます。3歳で父13歳で母を亡くし、その後赤坂の屋敷を売却。その資金を手に若干17歳で渡米。そこで後の横浜正金銀行第6代頭取相馬永胤と出会う事となります。帰国後23歳で再渡米、ニューヨーク州コーネル大学で建築学科を卒業。日本国内において大規模な建築を数多く手がけるとともに相馬永胤の私邸の設計にも携わることから、親交の深さが伺える。

大正12年(1923年)の関東大震災で正金銀行正門の頭上にあった屋上ドームを焼失したが建物本体は災害を免れ、また、昭和20年(1945年)の横浜大空襲でも被害を受けることなく現在にいたったもので、昭和39年8月、神奈川県が東京銀行からこれを譲り受けるとともに屋上ドームを復元。
また、当館は、平成7年6月27日付けで国の史跡に指定された。
http://ch.kanagawa-museum.jp/

横浜正金銀行本店

▲ページTOPへ戻る

資料(銀行券・広告など)

約300点にわたる様々な資料が展示されている。どれも歴史的意義の大きな資料なのは容易に想像できるが、文書類は達筆すぎて解読できないものが多い。漢字とカタカナばかりで、まさに「教育勅語」の文体である。筆者の勉強不足もあるが同行させて頂いた東大教養学部卒の野村さんも「目が疲れた」と足早に文書セクションを立ち去られたので、これを私の便利な言い訳とさせていただきたい・・・。必然的に明治時代に撮影された正金銀行周辺の写真や当時実際に使用されていた貨幣・銀行券等わかりやすい資料に眼がいくわけだが、個人的に興味深くおもった2つの資料について紹介させていただきたい。

大理石の腰壁「イタリア産矢橋10号」
1923関東大震災の翌年、補修工事が行われる。その際に腰壁を創建時の北木御影石からイタリア産の大理石に変更された。その白い大理石が展示されている。大理石にはプロダクト名がつけられていて、「イタリア産矢橋10号」。矢橋大理石から納入されたものだろう。矢橋大理石は1901年(明治34)創業。今日に残る老舗である。大正時代、第一次世界大戦の影響による好景気、関東大震災後の復興需要などが追い風になり、事業は大盛況。本社は岐阜県だが東京と大阪にも出張所を置き、石材加工は矢橋大理石商店の独壇場と云われるほど。創業時からの工事経歴書は近代建築史そのものと言う方も居られるそうです。
何故こんなものにと思われる読者もいらっしゃるでしょう。実は、同社のご令嬢と数回お会いしたことがあります。お上品な方とは思ってましたが・・・納得です。
※「腰壁」とは、壁の下半分(通常高さ90cm)に板材を張りめぐらせた壁のこと。部屋の雰囲気を一新できるのはもちろん、汚れやキズの防止にもなる。

【藤本ビルブローカー】 藤本ビルブローカー
博物館内はほとんどモノトーンの世界です。ただ一点、オレンジと黒と白の鮮やかなコントラストの広告が眼に飛び込みました。まるでソビエト連邦初期のプロパガンダポスターを思わせるようなそれは「かーろぶるびもとふじ?」藤本ビルブローカーの広告でした。

右から左への表記に時代を感じます。(「ビル」とは証書、証明書、証券、手形、請求書の事で、建物のことではありません)藤本ビルブローカーは弊セントラル短資グループのご先祖様的存在です。セントラル短資株式会社は2001年4月に山根短資・日本短資・名古屋短資の3社合併を背景に設立されています。その山根短資の創業者、山根十吉は藤本ビルブローカーより独立し1909(明治42)に山根ビルブローカーを設立しました。1942(昭和17)に山根短資株式会社に社名変更し、3社合併後もセントラル短資グループ内において山根プレボンという会社が存在します。永きに渡り、短期金融市場・外国為替の仲介業者として市場の流動性と安定性に貢献させて頂いている会社の社員として、広告が所蔵されていたこと、うれしい限りです。館内撮影禁止で写真に取れなかったことが残念です。ちなみに藤本ビルブローカーは大和證券グループ前進でもあります。

上記いかがでしたでしょうか?為替・国際金融・日本近代史・近代建築史にご興味のある方は是非、お足を運んでみては如何でしょうか?みなとみらい線の馬車道駅徒歩1分、馬車道通に面し青銅のドームが目印です。横浜正金銀行展を観覧した後は、異国情緒と文化あふれる横浜の町に繰り出してみては如何でしょうか?気持ちの良い一日になると思います。観光案内はこちら

横浜出身の筆者オススメ散策コース
横浜正金銀行展から海岸通りへ→海岸通りを右折して直進、左手に日本郵船歴史博物館・クィーンの塔(横浜税関)・右手にキングの塔(神奈川県庁)を見ながら正面のシルクセンターへ→横浜港大さん橋国際客船ターミナルに足を伸ばしてから山下公園。氷川丸あたりで公園を出て道を渡れば、目の前にマッカーサー将軍も泊まったグランドホテル。そこで一休み、お茶でも如何でしょう?そのあと元町通りに足をのばし、中華街でお食事は如何でしょう。大珍楼・萬珍樓・聘珍樓が中華街の老舗BIG3です。まだ歩ける!とタフな方はその後、山手教会・外人墓地・港の見える丘公園に行かれてみても一興かとおもいます。【参考地図:MAP】はコチラ

≫ (3)日銀貨幣博物館     ≫ (2)日銀本店地下金庫     ≫ (1)横浜正金銀行

≪ 外為知識ライブラリーTOPに戻る

信頼できる外貨投資を多くの方に。外国為替証拠金取引取引 セントラル短資FXのご案内